為末大さんの名言をご紹介しています。

 

参照)為末大公式サイト

為末大さんは、男子400mハードルの日本代表として世界陸上でメダルを獲得している有名な選手です。

独特な哲学、理論、トレーニング法が選手時代から注目されていて、引退後はスポーツコメンテーター、指導者、タレントとして活躍しています。

最近、スポーツ選手を引退した方が、為末大さんのように「心理学」「カウンセリング」「コーチング」を学び、指導者になる場合が多いですね。

実際の社会でも従来型の根性論、気合論のみだけでは通用しなくなっています。

為末大さんの言葉は、アスリートのみでなく多くの方に受け入れられるコーチング理論だと思います。


 

幸福は山頂でなく山登りにある。

 


 

燃え尽きてしまう人間には共通点がある。
それは自分をよく知らないということだ。
だから、燃え尽きないようにするには、まず自分を知ることに尽きる。

 


 

い時も悪い時も長くは続かない。
だから不調でも過度に嘆かず対策を考え、好調なときもそれが過ぎた後の対処を視野にいれるように心がけていました。

 


 

今の僕にとって、何かを「やめる」ことは「選ぶ」こと、「決める」ことに近い。

 


 

多くの人は、手段を諦めることが諦めだと思っている。
だが、目的さえ諦めなければ手段は変えてもいいのではないだろうか。

 


 

僕の今の目標は「勝つこと」以前に「生き延びる」ことである。

 


 

「好きなことだからやめない」
「今まで続けてきたからやめない」
違いは、自分の中で割り切りを意識しているかどうかである。

 


 

「やりたいけれど出来ないこと」より
「そんなに好きじゃないけれど出来ること」
をやったら結構楽しい人生になるっていうこと。

 


 

他人の浮き沈みに一喜一憂し、誰かをけなすことで憂さを晴らす。
でも朝起きてみれば自分の人生は何も変わっていない。

 


 

あまりにも執拗に正論を言う時、人は裏側に嫉妬とコンプレックスが潜んでいます。
おとなになると面と向かって嫉妬心は出てきません。
もう少しいびつな形で噴出します。

 


 

逃げてもいいんです。
耐えられないものを耐えようとすれば人は壊れる。

 


 

日本人は「せっかくここまでやったんだから」という考え方に縛られる傾向が強い。
過去の蓄積を大事にするというと聞こえはいいが、実態は過去を引きずっているにすぎないとおもう。

 


 

自分で考えることは大事なのですが、そのためにある程度、基本になる考え方の型を自分の中に持っていないければいけない。

 


 

陸上に限らず、一番おもしろいのは仮設を立てることだと思っているんです。

 


 

知りたくなかった自分を知り、認めたくない自分を認めるのが自分探しの本質。

 


 

羨ましいと上手に言えなかった人は批判的になる。

 


 

コントロールできないことに目を向けない。
コントロールできることに目を向ける。
体力の低下や世間の評判はコントロールできないことの代表格。
ここだけに目を向けていると苦しさがつのるばかりです。

 


 

変わりゆく自分を受け入れ常に新たな方法を創出する。
その生き方は心の安定だけでなく、豊かな人生をもたらしてくれる。

 


 

誰も答えを持っていないんです。
あなた用の答えは。

 


 

成功者の言葉しか残らないから
「やればできる」が格言になる。
現実の社会においては、はるかに敗者のほうが多いという事実はわかっておくべきだ。

 


 

本当に強い人というのは
「世の中はこういう物差しで動いているけれど自分の勝負はここだ」
と自分で決められる人だ。

 


 

目的に到達する経路はひとつとは限らない。
こう考えることができたらひとつの道で挫折しても前に進み続けられる。

 


 

何かに秀でるには能力の絞り込みが必須。
どんな可能性もあるという状態は何も特化できていない状態でもある。

 


 

全員を満足させようとする方法というのは得てしてうまくいかない。
そうではなくて誰かを強烈に満足させることのほうがむしろ大事。

 


 

「努力」は「夢中」に勝てず
「義務」は「無邪気」に勝てない

 


 

「苦しさ」や「一生懸命」「必死」でやっている人は、「無我夢中」「リラックスした集中」でやっている人にどうしたって勝てない。

 


 

成長のカギは自分が大事だと思い込んでいる
「どうでもいいこと」を
どれだけ少なくできるかにある。

 


 

意外にも勝利そのものは自信にならない。
むしろ勝負どころで頼れるのは
あのとき転んだけど、また立ち上がったじゃないか
という気持ち。

 


 

失敗を「すべて」ではなく
長い成功への道のりの
「一部」としてとらえられるかどうか。
それによって自分自身への自信の度合い大きく変わる。

 


 

幸せに見えていても、本質的な孤独っておいうのはそれとは関係がなくて、ひたすらに自分につきまとう空虚感みたいなものなんだと思う。
だからそれをわかってもらえたという思いは強烈な救いになる。
うまくいえないけど、結局大事なことは包み込むようにその人と向き合うしかないんだ、と僕は思う。

 


 

欠けている事を日本は許さない様なところがありますが、私は大いに欠けて結構だと思います。隠せば欠けている所は欠点ですが、晒せば欠けている所は魅力になります。

 


 

自分を隠さない。
気が弱いんだったら弱いまま。
興奮しすぎるんだったらしすぎるまま。
短所はない、特徴だけがある。
特徴をすんなりと生かした選手がグラウンドで輝く。

 


 

いやらしい話、おごられたことを覚えている若者を私は優遇する。
仕事ができるかどうかはわからないけれど、そいつはたぶん信用できる。

 


 

いろいろと試してみると自分の天分にも気付きやすいと思います。
やりたいことを10個くらいやれば、どれが自分に向いていて、何を全うすべきかというものが見える。
一個やるだけではなかなか見つけるのが難しいでしょう。
だから、たくさん経験をして、たくさん学ぶのです。

 


 

怒る人は多くの場合、許せないものがあって怒るんじゃなくて、怒りたくて許せないものを探している。だから、怒っている人は何にでも怒っている。
許せてないのが自分自身だということにまだ気づいていない。

 


 

自分にできることに絞って能力を伸ばしていくほうが成功の確率は高まります。

 


 

真の意味で幸せを掴むためには、所詮は他人の価値観にすぎない社会的評価から自由になり、自分独自の「勝利条件」を見いださなければなりません。